シンガポール、タイ、日本の3か国での妊活経験

「自分を前向きにしてくれたステップアップ」

 シンガポール在住 柳川まいかさん(31歳)

· 患者インタビュー
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シンガポール→タイ→日本での不妊治療を経験され、最終的に体外受精で第1子を出産、現在は妊活中の方へ栄養面での知識を伝える活動などもされている、柳川まいかさん(31歳)へインタビューをしました。 

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ただでさえ孤独になりがちな不妊治療。情報収集や相談も難しい異国の地で、生活を整えつつ、試行錯誤しながら治療をしてきたまいかさんのストーリーについてお伺いしました。   

まいかさんの治療ストーリーマップの紹介

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不妊治療ストーリーTips 

  1. 3か国で不妊治療、「人工授精」へのハードルが高かった
  2. シンガポール旦那さんと想いがスレ違ったタイミング法の2年間 
  3. ステップアップすることで前向きになれた自分   

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3か国で不妊治療、「人工授精」へのハードルが高かったシンガポール 

-まいかさんは妊活しようと思った時はすでにシンガポールだったのですよね? 

 はい、20代前半の時に結婚をして、シンガポールへ渡り、現地の日本企業に2年間働いていました。自己流での妊活を1年続けた頃に、「そろそろ子どもが欲しいね」と27歳の時に病院へ行く事を決心し、そこから病院での検査が3カ月ほどかかり、タイミング法は全部で2年間ほどしました。

―2年間…長いですね。何か検査で原因などは見つかったのでしょうか? 

 エコーで小さなポリープが複数見つかったので、取り除く手術は受けましたが、それ以外は主人も特に問題なく、不妊の原因は見つかりませんでした。医師からは、「若いからタイミング法をしていれば、いつかは授かるでしょう」という感じでした。私も「特に不妊の要因がなくて良かった」とその時は少し安心したのを覚えています。周囲のシンガポール人の多くが、「医師に任せておけば大丈夫」というような楽観的な文化がある環境で生活していたのも影響したかもしれません。 

―2年間の間にシンガポールの医師からステップアップなどは薦められなかったのでしょうか? 

 シンガポールでの人工授精は10万円程かかり、全額自費。確率もそれほど上がらないと医師から説明され、自分も「人工」という言葉にハードルを感じてしまい、ステップアップは躊躇していました。 

 今思うと、「人工授精」は「受精」は自然に任せるものだし、それほどハードルを感じる事はなかったなぁと思います。もっと早く自分から人工授精についてちゃんと調べてトライしていれば、、と思いました。   

旦那さんと想いがスレ違ったタイミング法の2年間   

―タイミング法の2年間、旦那さんとの関係はどうでしたか? 

 まだお互い20代半ばくらいで、主人はシンガポールでの仕事に集中したいようで、「そんなに焦らなくても…」という感じでした。ただ、私の周囲では結婚して問題なく出産する友人が多くなってきた時期で、どうしても周囲と比べてしまう自分がいました。タイミング法ではどうしても夫の協力が必要だったので、妊活に対する想いにすれ違いを多く感じた時期でした。通院も義務的になってきて、身内で出産の話があって焦る思いもあり、今のような同じ治療法で繰り返しやっていても…という不安がすごくありました。また、夫婦間で妊活の話をする時に、私は「ただ聞いて共感してほしい」一方で、旦那さんは「問題を解決しよう」とするコミュニケーションの取り方で、難しさを感じていました。特に不妊治療の問題は解決できない事が多いからお互いに余計にストレスが溜まってしまい、この2年間は本当につらかったです。ただ、今思うと必要な期間というか、お互いのコミュニケーションの取り方を知った期間だったなと思います。   

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ステップアップで前向きになれたキモチの変化 

―そこから、タイの病院へ通って人工授精を受けたきっかけは何だったのですか? 

 たまたまネットでタイへ行って人工授精で妊娠した方のブログを見て。調べてみると、タイでは日本語通訳の入る病院も多く、世界中から不妊治療でタイの病院へ通っている患者さんが多い事を知って、自分たちも試してみようと。費用もシンガポールより安かったです。この時は、ステップアップしたことで、タイミング法よりも前進しているような気がして前向きな気持ちになれました。ここまでくると旦那さんも私のキモチもよく理解してくれ「やってみよう」と段取りはスムーズでした。   

―その後に日本への一時帰国で体外受精をされたんですよね? 

 人工授精の後に、判定日より前に生理が来てしまいました。2年もタイミング法をした後の人工授精だったので、「人工授精でも、もうできない…」と同じ治療をもう一度する気持ちが夫婦共々なくなっていました。 

 その少し後に日本に一時帰国するタイミングがあったので、東京の不妊治療のクリニック6軒に連絡を取りました。初診の予約がすぐにとれなかったり、海外在住だと対応してもらえなかったり、断られることもありましたが、最終的に予約が取れた大手のクリニックに通院することに。シンガポールやタイでは検査しなかったのですが、AMH(抗ミュラー菅ホルモン)の値が1.69で、29歳にしては40代の方の平均値だと知りました。でも医師からは「AMHはあくまでも卵子の数の目安で、卵子の質は年齢に比例するから悲観的に考えなくても大丈夫」と言われ、心配するより今できることをやろうというマインドで過ごしていました。   

 「体外受精までやれば大丈夫、きっとうまくいく」という期待と、「ここまでやってだめだったら仕方ない」という半分諦めに近い思いが半々で過ごしていました。とにかく沢山の注射と飲み薬を淡々とこなし、高刺激法(アンタゴニスト法)で採卵15個、うち9個が胚盤胞になって凍結する事ができ、1回目の移植で陽性判定となりました。   

―体外受精の治療中は、旦那さんとの関係はどうでしたか? 

 治療中は、主人はシンガポールに戻っていたため、主人にあれこれしてほしいという期待はあまりなく、ただ治療のことを聞いて欲しいと思っていました。注射や治療スケジュールを事細かにLINEで送って、主人にも自分事として捉えてもらえるようにコミュニケーションは密にとっていました。ステップアップは自分で決めたこと、その思いから治療を淡々ととこなすことができた気がします。   

―不妊治療を振り返って、今どう思いますか? 

 もっともっと自分で調べればよかったと本当に思います。医師の話がすべてで、なかなか自分でちゃんと調べてこなかったから、タイミング法を24カ月して、その時期は本当に精神的につらかったです。ハードルが高いと思っていた人工授精や体外受精にステップアップしてみると、気持ちが前向きになれたので、事前に治療期間の目安を夫婦で共有しておけば良かったなぁと思います。   

―これからの家族や2人目についてはどう考えていますか? 

 出産前は、子供は2人欲しいなと思っていました。でも、今は…第1子誕生をきっかけに、以前あった子供は2人欲しいという執着がなくなりました。シンガポールで子どもを持つことへの価値観も様々、多国籍な環境で子育てをしていることもあり、女性の幸せは子育てだけではなくて、他にもたくさんあることを実感しています。 

そのため、今後授かっても授からなくても、それだけが幸せな人生を決めるわけではないと思えるようになりました。現在は、毎日の食事を中心とした生活習慣を整えたり、そのための知識をインプット中です。子どもあっての夫婦ではなく、まずは「夫婦ふたり」の良好な関係が大切だなぁと、家族の幸せの在り方についても考え方が変わりました。   

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―最後にまいかさんのご活動についても教えてください! 

シンガポールで「ひよこの愛言葉」で不妊治療の患者のコミュニティをやっています。そこでは治療の経験者と治療中の方をつなげています。自分と同じように海外で生活している方で孤独に不妊治療をされている方をサポートしていきたいと思っています。私自身がもっと知識をつけて情報を提供していこうとしているところです。特に妊活中から妊娠中、産後の食や生活習慣について学べる「マタニティフードアドバイザー」という資格を取得中です。 比較的生活に取り入れやすい食の情報から提供できればと思っています。 

※ひよこの愛言葉ブログURL  

https://hiyoko-aikotoba.hatenablog.com/entry/2021/02/12/152215       

 

<編集部の想い>  

まいかさんご夫婦のストーリーは、20代、異国の地で知識や情報がないまま不妊治療をするという、ハードルだらけのスタートでした。ただ、それは負の感情だけでなく、不妊治療を通して家族の在り方を考え、お二人ならではのパートナシップを学んだ期間であり、間違いなく今後の人生においても、かけがえのない財産になったのだとお話を聞いて感じました。夫婦の在り方もそれぞれ、多様性があるもの。他人の理想像を求めて、そうならない現在の姿に辛い思いを抱くのではなく、「私たちの理想」は何なのか、話し合って気づいていく事が大切なんだと改めて気づかされた素晴らしい時間でした(取材担当者:角田夕香里  )。